性善説・性悪説?

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 思想・哲学に性善説とか性悪説とかありますね。そうです。孟子や荀子の世界ですね。

 その本質的な内容とか思想的な捉え方は、難しい世界でここでは触れませんが、社会で立ち回るときには、どちらを前提とした方がいいのでしょうか。皆さんはどうお考えでしょうか。

 佐藤優さんの「交渉術」(文藝春秋社)のなかには、国際的なスタンダートは徹底した性悪説にたちながら性善説に基づいて動くという運用であり、日本では性善説の原理にたち性悪説で運用されているとの指摘がありました。この下りへの評価や解釈は様々かとおもいますが、なるほどなと思うところがあります。

 最近の政治の状況や東京オリンピックのときの問題などもこのことが当てはまるのではないかと思ったのです。

 理想の社会や法律の世界は望ましいものではありますが、一方で実際の社会では理想とは相当の距離のある現実があり、その現実社会のなかで、自分の考えや活動を実現していかなければならないことがままあります。そのときに、日本的な方法では歩みを一歩進めていけるのか、世の中を進めていけるのか、引っかかります。決して国際的なスタンダードと言われる前述の方法がいいとは思いませんが、生きるとか幸せとかなんだろう、そして社会をどう動かせば自分たちの生きる・幸せを実現でき社会の幸せを形にしていけるのだろうと考えたときに、複雑な思いに駆られます。

 山田洋次監督の「寅さん」シリーズや「学校」などのなかには、生きるとか幸せとかの意味を問う投げかけが見られます。今の社会で、人の行動を律している制度や仕組みはどうなんでしょうか?

 みなさんは、どう考えていますか?

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